「最近頻発している強盗事件ですが、ご心配はありません。今日もヒーローたちが駆けつけております! おーっと! 一番乗りはブルーローズだ!」
ミネラルウォーターを取りに立ち上がったところで、突然番組が中断された。そして流れてくるリポーターの声に、虎徹は立ったままテレビを見つめていた。
液晶の中で所狭しと動きまわるヒーローたちが犯人を捕まえっていく。それに合わせてリポーターの声が高らかに響く。
キャップをひねりペットボトルに口をつけた。冷たい水を飲み込むと、喉がすっと冷えていく。それでも目線はテレビから離さなかった。
「そして今日も、バーナビーの相棒ワイルドタイガーの姿はありません。復帰は間もなくとの情報ですが、早く二人の活躍が見たいところです!」
ワイルドタイガー。
その名前を聞いて、虎徹は喉を鳴らすのをやめた。
「ワイルドタイガー……ワイルドタイガー、ねぇ」
思わず自嘲気味な声が漏れ虎徹は、はぁ、とため息をついた。
ソファに腰掛け、テレビの中で活躍するヒーローたちを眺めた。
自分もあちら側にいる人間だと、バーナビーは切なげに言った。痛ましい瞳が自分を見つめるのに耐えられなくなり、目線を逸らす事が殆どだ。
彼には自分にない記憶がある。
自分にない記憶が彼にはある。
時折話をしていて、あ、と一瞬の間を置いて謝るバーナビーを見ているといたたまれなかった。
彼には笑っていて欲しいと思ったから、彼にそういう表情をさせることが嫌だった。
だが自分には何も無い。
この犯人たちとのやり取りが終われば、バーナビーはこの部屋に戻ってくるはずだ。
ぐったりとソファに背を預け天井を見上げた。
口の中に溜まった唾液を嚥下して、虎徹は胸を上下させ息をした。
テレビからは相変わらず賑やかな犯人逮捕劇が中継されているが、あまり見る気分ではなかった。
そんな虎徹の考えを知ってか知らずか。テーブルの上に放り投げてあった電話が突然鳴り響いた。
手に取り液晶を確認して動きを止めた。
出ないほうがいいと、バーナビーは言っていた。
だが液晶の名前を見ていると、通話ボタンをおさないという選択肢は消え失せた。
「もしもし」
早く帰ると言った割に遅くなってしまい、文句を言われるかと思いつつバーナビーはインターホンを押した。鍵は持っているが、今はそうしたい気分だった。
だがすぐに返事も無ければドアが開く気配もなく、首をかしげならもう一度インターホンへ指を伸ばした。
それでも返事はなく、ドアノブに手を伸ばして捻るが鍵は掛かったままだった。
「虎徹さん?」
決して中まで響く声ではなかったが呼びかけて、ポケットの中に入っていた鍵でロックを解除した。
中に一歩入り、音をあまりたてないようにしてドアを締める。別に忍びこむわけでもないのだが、何となくそういう雰囲気が漂っていた。
「虎徹さーん?」
少し大きな声で、響くように呼びかけたが返事はない。何かあったのかと少し焦りを覚えながら部屋の中を進んでいった。
「虎徹、さん?」
ソファの上で頭を抱えたまま微動だにしない虎徹がその場にいた。もう一度名を呼びかけるが返事はなく、テーブルの上には静かなスマートフォンが黒い箱として転がっていた。
「俺は知らないんだ」
「え?」
「だけどそれを言えるか?」
「虎徹さん?」
「聞き覚えがあるような懐かしい声で、何度も何度も怒ったように言うんだよ、お父さんって。でも俺は知らねぇんだよ。でも言えるはずねぇだろ? 俺はキミを知らないなんて」
虎徹を見下ろしたままバーナビーは眉間に皺を濃く深く刻んで、咎めるような口調で言った。
「電話、出たんですか」
「出なきゃいけねぇって、思ったんだよ。そしたら、何で連絡よこさないの、お父さんって。怒られちまった。でもな、俺は知らねぇんだよ。声は懐かしいし、名前もお前から聞いて知ってる。でも何て答えたらいいかわかんねぇんだよ。ごめんな、って謝ってたらまた怒られた。いつもそればっかって」
でも違うんだ、ともう一度小さく呟いて、虎徹はやっと顔を上げた。
「向こうは知ってるんだ。しかも俺をお父さんって呼ぶ。なのに俺は知らない。顔だってよくわかんねぇ。写真と今は多分違うだろうし、名前だって口にしながらもわけわかんねぇし。多分、電話がかかってくるって稀だったんだろ?」
泣いているわけではなく、怒ってもいない。ただただ優しい表情の虎徹が、バーナビーの顔を見上げて問いかけた。全てを諦めている様にも見える瞳が、じっと自分を見据えていてバーナビーは小さく頷いた。
一人娘の楓からの電話には出るなと釘を刺していた。出るなら自分がいるときに、とバーナビーは言い添えていた。自分は楓と話したこともない。
だが虎徹から聞いた話は山のように記憶にある。だから少しぐらいはちぐはぐな会話を避けられると思ったからだった。
しかし先の人助けの様に彼の中に残る無意識の記憶には、その制止の言葉は効かなかったということだ。
嬉しいようで、悲しかった。
バーナビーは、一歩、二歩と近づいて虎徹を抱きしめた。
久しぶりに抱きしめる感触に、このまま組み敷いてしまいたいとさえ思った。だがその記憶だって虎徹にはない。
今はただの相棒なのだと言い聞かせるために深呼吸をした。
「一つ残念なことがあります」
虎徹は何も言わずに抱きしめられているので、バーナビーは言葉を続けた。
「貴方の記憶を消したであろう犯人は死にました。僕の目の前で」
「え?」
「そして、貴方の記憶は脳内の細胞レベルでの損傷が伴っている様です。詳しいことは省きますが、それを回復させることはほぼ困難です。なので……貴方の記憶は」
抱きしめる腕に力を込めながら、死刑宣告をするとはこういう気分なのだろうかと思ったが、そういう立場の人間はここに私情は挟まないものだと思い直した。
自分にできる事は何か。
最善の方法は何か。
バーナビーは虎徹の髪に口付けて言った。
「戻らないのは、確実です」
「そう、なのか」
「やけに落ち着いてますね」
「正直……わけがわかんねぇんだよ。俺はお前の事も覚えてないし、ヒーローだったっていう記憶もないし、さっきの電話だって。そう、俺は結婚してた相手の事さえ知らないんだぜ? 今無いものがもう戻らないと言われても、今が普通だと思ってる俺からしたら、別に痛くも痒くもねぇんだよな」
乾いた笑いをこぼして虎徹はバーナビーの腕を、力なく掴んだ。
身体を引き剥がすためでもなく、ただ縋るように手を掛ける。
「俺はどうすりゃいいんだろうなぁ、ほんっとに」
「恨むなら、僕を恨んでください。貴方がこうなったのは僕の責任です。犯人は僕に恨みがあったらしく、だから貴方を生かして苦しめる。そうすれば僕は一生犯人を恨みながら、後悔し続ける」
虎徹はその言葉の意味がわからなくて首を傾げた。
腕の中で動いた虎徹と身体を少しだけ離し、バーナビーは謝罪の言葉を口にした。
「貴方の傍に僕が居なければ。僕がヒーローにならなければ、僕が貴方と組むのを嫌がってた頃のまま、貴方のことを嫌いだったらどれだけよかったか。そうすれば、こんなことにはならなかったかもしれない」
「でももうなっちまったもんは、仕方ねぇだろ」
肩で息をした虎徹は、いつものように笑い顔でバーナビーの腕をバシバシと叩いた。
先程までの落ち込みは無理矢理押し込めた、彼らしい笑顔はいつもどおりで、それが更にバーナビーの中で消化不良を起こしていく。
いっその事、罵ってくれたほうが楽なのにと思うが、彼はそういう事をしない。元々そういう人間なのだから、記憶を失ったとしてもそういう部分は変わるはずがないと分かっていた。
だから余計に痛みを感じた。
「どうにかしていくしか、ねぇだろ? ってか、そんな泣きそうな顔すんなよバーナビー」
身体をすっぱりと離すと、虎徹は拳を軽くバーナビーの胸に当てた。
どういう表情をするべきかわからないバーナビーは、ただただ困った表情で虎徹を見下ろしていた。
「お前には笑っててほしんだよ、何か知らねぇけど」
息が止まった。
端々に見え隠れする元々の彼の記憶は心臓に悪い。
乾いた笑いが漏れて泣きそうな表情になったので、それを覆い隠すために片手で顔を覆った。下を向いてもう一度謝罪の言葉を口にした。
「本当に……すみません」
「おおい、バーナビー? 言ってる傍からそんな顔すんなよぉ」
記憶を消されたと言う今でさえ、ほんの数日前までの虎徹が昔言った言葉をさも当たり前のように口にした彼は、確かに虎徹なのだと改めて実感させられた。
だから余計に悲しかった。
もうあの頃の記憶は何も無いのだというならば、自分達は一体何によってつながっていられるのだろうと。
「ひとつ、確認したいんです」
「ん?」
「僕のせいで貴方をこんなことに巻き込んでしまった。それはお互いにヒーローだからということと、僕たちが相棒だったからという事が原因にあります。でも……今の貴方は違う。だからもし、貴方がヒーローに戻るつもりがないなら、僕は止めません」
相棒は彼しか居ない。だがヒーローに戻りたくないというなら無理強いをするつもりは無かった。
虎徹は顔をくしゃりと子供のようにして笑った。
「それはねぇな。俺は記憶が無いつっても、ヒーローに憧れてた記憶はある。レジェンドに憧れてる記憶はあるし、想いもある。だから大丈夫だ。お前がちゃんとフォローしてくれんだろ? 相棒」
その言葉に救われた気がして、バーナビーは顔を覆ったまま、泣きそうな声で小さく呟いた。
「ありがとうございます」
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