Fly me to the moon.

 人の気配を感じてカリーナは顔を上げた。
「先日はどうも」
「何だ」
 アンタか、という言葉を飲み込んで目の前で自分を見下ろすバーナビーから目線を逸らした。


「良かったらどうぞ」
「どうも」
 差し出されたペットボトルのミネラルウォーターを手にとった。
 なにか言いたげに見下ろす瞳をもう一度だけ見上げ、若干不機嫌ないろを含んで「何?」と問いかけた。
 手のひらがひんやりと冷えていく。
「ヒーローショー、僕の変わりに出てくれたそうですね」
「別にアンタの為でも、アイツの為でもないわよ。こっちもビジネスなのよ」
 いつもバーナビーが口にしている言葉を引用して返すと、困った表情でバーナビーは笑った。
「そうですね」

 無言のままじっと自分を見下ろすバーナビーに、カリーナは困り果てた。
 何か文句があるならさっさと言えば良い。実際の会話の発端など先のヒーローショーの話題で終了のはずだ。
 それ以上話すことなど思い当たらないし、どう対処するべきか困る。
「あの、なにか言いたい事でもあるの?
「僕の為でも、アイツの為でもないと言いましたけど、結局のところはおじさんの為ですよね」
「は、はぁ?」
 ペットボトルを掴む指先に力がこもった。
「なに寝言いってんの? そんなわけあるはずが無いでしょ」
「気になるくせに?」
 ペットボトルの蓋を開けて水をぶちまけ無かっただけ大人な対応だと思って貰いたい。
 派手な音を立てて指先の形に沿って変形したペットボトルをバーナビーは見つめた。
「隣、座っても?」
「……どうぞ」
 拳ひとつ分程の間を開けて座り、バーナビーは前髪をかきあげてまっすぐと前を向いた。
 変形したペットボトルを両手で軽く整えながら、キャップを外すとカリーナはその中身を見つめた。
 ゆらゆらと揺れる透明な水越しに、ペットボトルを握る肌色が揺らめいて見えた。

「あの人はお節介ですからね。貴方も、それに感化されたんじゃないんですか?」
「感化?」
「ええ」
「そっくりそのまま貴方に返すわよ、その言葉」
「僕にですか」
「ええそうよ。バディ組んでからしばらくの間より、全然マシになってるじゃない」
 そう言ってから喉を潤し濡れた唇を軽く噛んだ。
「貴方こそ、いい加減認めたら良いんじゃないの?」
「別に、僕はどうでもいいんですよ。いつも傍にいますから」
「何が言いたいの」
 バーナビーは瞳だけを動かしてカリーナを見やった。
 馬鹿にするような笑みではない、宣戦布告する自信に満ちた笑みを口元に浮かべて。
「さぁ、なんでしょう」


「ああでも一つだけ、そうね。感化されてるっていうなら、されてるかもねぇ」
 短いトレーニング用のズボンから伸びるしなやかな足を組むと、肘を膝についた。
「あんま認めたくないけど」
 顎を手の甲に乗せて、気の抜けた声で言った。
「歌とか、音楽ってのはね、弾き手、歌い手の気持ちが反映されやすいのよ。気分が乗らない時とか、怒ってる時とかに歌っても全く人には響かない。寧ろ不快にさせる可能性もあるし、意味のない音の羅列でしかないのよ」
「それで?」
「悲しい時に悲しい歌を歌えばそれはすごく悲しい歌になる。でも聴き手にはすごく伝わる。反対に悲しい時に楽しい歌を歌うと、どこか切なく聞こえる。反対もしかり色々あるけど、そういうものなのよ」
 カリーナの目線の先で、こちらに気づいた虎徹が手を挙げた。
 だがそれに答える事もなく、無愛想に顔を横に逸らし言葉を続けた。
「この間言われたのよね、ある人に。歌ってたらすごく響いたって。嬉しいわよねそう言われると」
「それが感化されてると?」
「そうね」
「何を歌ったんです?」
「珍しい。貴方がそういうところに興味示すの」
「宣戦布告しに来たんですから、敵情視察といったところですかね」
「他人に興味持つのね、貴方みたいな人でも」
 そう言うとカリーナは立ち上がり、大きく背伸びをした。
「まぁ、貴方がどうとろうと私には関係ないわ。大体、傍にいるからといってソレが有利とはならないでしょ? そっちは一番大きなハンデがあるんだし」
「ハンデ?」
「性別。貴方がよくてもアイツがいいとは限らないでしょ」
「別に異性だからといって、歳の差がある貴方もそれはハンデでは?」
「かもしれなわね」
 認めた、と思ったがバーナビーは余計な事は言わず黙ってカリーナを見上げていた。
 何かを秘めた瞳が、まっすぐと前を向いている姿は年齢の割に大人びて見え、そして女性としても魅力的だと内心少しだけ思った。

 ペットボトルを振り「これありがとう」と礼を言うと、バーナビーは肩を竦めた。
「ヒーローショーのお礼です」
「やっすいお礼ね」
 一歩踏み出したところで、カリーナは振り返り人差し指を緩やかに振った。
「そうそう、さっきの」
「さっきの?」
「歌った曲だけど」
「ああ」
「知ってるかしら、ハンサムなら」
「タイトルは?」

「Fly me to the moon」


fine...