これからの話をしよう。

2011.09.23.「僕のヒーロー」にて無料配布。最終話ネタバレ有。

 部屋の荷物もまとめ終え、あとは全てを引き払ってこの部屋を後にする。それだけの予定だったのに、面倒事を頼まれた虎徹はイヤとは言えず先に帰った楓に「ずるい!」と言われるなか、何もない部屋で来客を待っていた。ずるいと言われても、本人は寧ろ面倒なだけなのだが。それに、折角整理がついたものが再び散らかる。
 呼び鈴が鳴り立ち上がった。身を正し玄関へと向かう。
「おじゃまします」
「遅かったじゃねぇか」
 大事な話をするには、初めが肝心だ。

「元々あまりものがない部屋でしたけど、本当何もなくなりましたね」
「お前の部屋には負けるだろ」
「確かに僕の部屋は何もありませんからね」
 肩をすくめたバーナビーに倣って虎徹も肩をすくめて見せた。あいにく食器類も片づけているので、何か飲食するにしても外に行かなくてはならない。ドアを後ろ手に閉めたバーナビーに虎徹はその旨を伝えた。だが返事をするより先に、鍵を閉める音と唇が塞がれるのはほぼ同時だった。
 不意の事に目を開けたまま数秒間。触れるだけの口付けを終えると、バーナビーは小さく息を吐いた。
「本当に、ヒーローを辞めるんですか?」
「へ?」
 それはこっちの台詞だ、という言葉は飲み込んだ。
「いやだって、足引っ張るだけだろ俺」
「でも、あなたみたいなヒーロー馬鹿がヒーロー以外何するっていうんですか?」
「お前ひどい事言ってるよな、それ」
「どうせ実家に帰ってごろごろするだけじゃないんですか?」
「いや、まぁ……あー、ほら。兄貴が酒屋やってっからその手伝いとか」
 実際何も考えていないので、バーナビーの言葉がほぼ正しい。だがそれを指摘すると負けた気がするので口からでまかせを言ってみた。嘘から出た真実になればそれでいい。
「っつかお前こそ、ヒーロー辞めなくてもいいんじゃねぇのか? 確かに初めは」
「初めは復讐の為でした。その後は少し変わりましたけど。でも、やっぱり虎徹さんが隣にいないというなら、僕はヒーローやる意味がありませんよ」
 顔色一つ変えずそういい放つバーナビーを説得してヒーローを続けさせること。それが虎徹に課された最後のヒーローとしての仕事だった。
 だが一度覚悟を決めた、しかもこの人の話をなかなか聞かないスカイハイの次ぐらいに話を聞かない。面倒だし難しい。案ずるより生むが易しというが、それは嘘だとさえ思う。
 いっそのこと当たって砕けてしまえと家に呼んで説得をして、それでダメならダメだったまでだと思い、最善は尽くすが全てはバーナビーの意志を尊重すること。それを条件に虎徹はこの最後の仕事を請け負った。
「ふぅん……とりあえず、腹減らねぇか?」
「え?」
「そうだよ! お前炒飯練習してたんだろ? 作ってくれよ」
「ここでですか」
「そ。全部片づけちまったけど、その辺のスーパーで安物で揃えちまえばもったいなくもねぇし」
「だったら僕の家に行きますか?」
「へ?」
「どうせ、僕を説得しろってロイズさんから言われているんでしょう?」
 図星だ。
「それに、練習っていっても僕の家でやってましたから。火、あまり好きじゃないんでやっぱり」
 少し弱ったような笑顔を見せて、バーナビーは虎徹の後ろに見えるカウンターを指さした。火は従順なしもべだが、悪しき主人でもある。バーナビーにとっては後者の記憶が強すぎる。
「わかったよ。お前の家に行く」
「ありがとうございます。でも説得には応じませんよ」
「お前なぁ」
「大体、あなたが考えている事なんてお見通しですよ。能力も一緒だし、似てるところがあるなんて言い出したのは虎徹さんなんですから。蛇の道は蛇ってやつですよ」
 得意げに笑ったバーナビーに、虎徹はあからさまなため息をついて笑い返した。

「本当に虎徹さんこそヒーロー辞めるんですか?」
 乗りなれた車も今日限りだ。肘を突いて外を眺めながら、虎徹は気のない返事を返した。バーナビー以上にヒーローにしがみついていたのは自分のほうだ。ヒーローを辞めるという決断は、そう簡単に下せる決断ではなかった。だが考えれば考えるほど、バーナビーの他にもヒーローたちの足手まといになるだけだし家族に心配もかけるだけだ。ならば、今この場で幕を降ろす方が自分には似合いだと思えた。
 必ず機会が来る。そう思っていたが、その機会はもうないのだろうと薄々感じていた。ならばもう一人で十分ヒーローとしてやっていけるバーナビーに、一人立ちしてもらうのが良い。人気も実力も相棒である自分よりある。楓とは年が離れているが、それこそかわいい子には旅をさせよという言葉の通り、子供を送り出す親のような感慨深さも感じていた。
「僕はその方が信じられませんよ。虎徹さんが静かになるなんて、嵐の前の静けさでしかない」
「お前、俺を台風か何かと勘違いしてねぇか?」
「物の破壊力と破壊数は台風に負けず劣らずでは?」
「っだ! お前なぁ」
 ふっと鼻で笑ったバーナビーがハンドルを切ると、緩やかに車体は傾きカーブを描いていく。重力に従って体を揺らしながら虎徹は肩の力を抜いて、再び外を眺めた。
 賽は投げられた。新しい道を結果はどうであれ、もうお互いに違う道を進むしかない。
「なぁ、バニー」
「はい?」
「俺たちはコンビだ。例えこの後何があっても、俺たちはコンビ。それでいいだろ」
「それは大前提です。異論はありません」
「それでお互いに違う道を行く。お互い、草の中にいる蛇には用心しながら」
「どういうことです?」
「ウロボロスの事とか、な。危険はどこにあるか分からん。お前もセオリーに頼るやり方と、勘に任せるやり方があるってわかっただろ? どっちもうまく使って、うまく身をこなして行けってことだ」
「だから僕はヒーローはもう辞めますって」
 速度を落とすことなく、ハンドルに顎をつくとバーナビーは横目で虎徹を見やった。虎徹は外を眺めていてバーナビーの様子をウィンド越しに見ていた。うっすらと映っているバーナビーは、何が言いたげに見ているがお互いに何も言わない。
「本当、これだからおじさんは」
 まっすぐ前を見て、信号が赤になったので速度を落としていった。

 バーナビーの部屋につくと、そこにはいくつか見覚えのある私物が転がっていて思わず苦笑いをこぼした。
「捨てればいいのに」
「捨てられませんよ」
 時間はかかった。信頼という木は大きくなるのが遅い木である。それでもお互いに背を任せ、命を預け戦えるほどの信頼を築き上げる事が出来たのは、数々の戦いも去る事ながら虎徹のお節介が築き上げた唯一の良い結果だった。
「捨てられるわけ、ないじゃないですか」
 振り返りバーナビーは、虎徹の頬へ手を伸ばすと愛しげに輪郭をなぞった。されるがまま虎徹はバーナビーを見つめていた。
「あなたがいた証です」
「俺死ぬわけじゃねぇよ」
「でも会えなくなる」
「別に一生会えないわけじゃない」
「でも! 今までいやと言うほど虎徹さんは僕のそばにいた。こんなに近くにいたっていうのに……離れるのは、辛い」
「バニー」
「子供じゃないから分かってますよ。当たり前だってこと。でも……辛いんです」
 そう言ってゆっくりとした動作で虎徹を抱きしめた。その腕に抱きしめられながら虎徹も目頭が熱くなるのを感じ、それを隠すように背に腕を回した。恋は盲目。そんな気持ちを今更思い出させられるとは思ってもいなかった。
「いっそのこと、嫌いになってくれればいいんですよ」
「お前がなれよ」
「無理ですよ。あなたが一番知っているくせに、さっきからずるいですね」
「大人はずるいんだよ」
 死ぬわけでも、一生会えなくなるわけではない。ただ少しの間会えなくなるだけだ。分かっていながら、自分が下した決断のくせに虎徹も今更その決意を揺るがされつつあった。
 だがそれと同じぐらい大切なものがある。
「なぁ、バニー。一つ賭をしよう」
「賭?」
「ああ。次に会うときまで、まだお互いに気持ちが変わってなけりゃ、もう一度コンビを組もう。そんで、一緒にまたヒーローやろうじゃねぇか」
「どういう意味ですか、それ」
「そのままだ。頭冷やして考えながら、会えない日を楽しむのも大人の余裕ってやつだ」
 体を離し、虎徹はいつもの笑みを浮かべてバーナビーの顔をのぞき込んだ。不思議そうな顔をしているバーナビーに思わず笑みがこぼれる。彼にこういう表情をさせられるのは、自分だけなのだと思えば嬉しくないわけがない。相棒であり、いつからか恋人になった男は小さく頷いた。
「いいですよ。受けてたちましょう」
「そんな意気込まなくっても」
「僕は自信がありますよ。僕の世界を壊して、今までなかった感情を生み出したあなたを嫌いになるはずがない」
「その自信はどうかと思うよ、バニーちゃん」
「虎徹さんこそ、後悔しないでくださいよ。僕に会えなくて寂しいと思ったら、いつでも帰ってきてくれてかまいませんから。いつまでも待ってますよ」
 虎徹は黙って部屋を見回した。何もないこの部屋は、今までバーナビーが一人で過ごしている部屋だった。そこに自分という存在が加わって彼に何を与えたのか。それは虎徹が思っているよりかなり色濃いものであった。
「でも、待つばかりも嫌なんで、迎えに行くかも知れませんけど」
「待っててやるよ。お前が来るって言うなら」
「来て欲しいなら素直に言って下さい」
「そっちこそ」
 お互いに肩をすくめた。答えのない問答をする時間も、もう残り少ない。しかし、近い将来共に背を任せ戦う日がくる予感はしていた。確証はない。だが、互いにコンビとして認めるのは、世界にただ一人しかいない。様々な事があったが、終りよければ全て良しなのだ。
「で、炒飯作るのなら材料買いに行くか?」
「それより先に、残る時間を惜しむのも悪くは無いと思うんですが、どうです?」
「はめたな、お前」
「さぁ」
 自分のペースにはめるつもりが、これでは完全にバーナビーのペースにはまっている。伸びてきた腕を拒むこと無く、最後の仕事は先延ばしだと自分自信に言い聞かせた。


END


22話でのおじさんのとあるせりふに、眼鏡が割れて書きなぐりました。