絶対不可侵領域

 屋上で煙草をふかして暇を潰す。
 長くなった灰が落ちるのを眺めながら、間も無く来るであろう教師を待ちわびて、いち生徒である高杉晋助は目を細めて雲一つ無い空を見つめた。
「ったく、他の奴に見つかったらどうするつもりだ、高杉」
「どうもしねぇよ」
 今更そんな喫煙如きに目くじらを立てられても、痛くも痒くもない。それに、それ以上にこの男、坂田銀時しか来ないという絶対の自信が有ったからこそ、余裕で紫煙を燻らせ、空を眺めるなど出来たのである。
「で、先生」
 乗り出すように身体を預けていたフェンスから身を離し、背を預けると口元を綺麗に歪めた。
 子供の頃に怪我をしたと云う左眼は今や光を通さない。それでも晋助はそのハンデをものともせずに、今やこの学校覇権争いにて一二を争う、お世辞にも優良生徒とは言えない所謂問題児となっている。
「答えは出たのかよ」
「変わらずな」
 言いながら屋上の扉鍵を閉めた。これでこの空間は、無限に広がる広大な空を持った密室になった。
 銀時も白衣のポケットから煙草を取り出して火をつけた。下を向いたまま紫煙が空へと登って行く。
 タイムリミットはその一本の煙草だ。
「答えはいつも変わらん。一度出た答えを、今更計算間違いでしたって覆せるようなもんじゃねぇし」
「もしかしたら今の答えが間違えてるとは思わねぇのか?」
 ははっと笑って、銀時は顔を上げた。
「少なくとも、今の答えはこれだ」
 進歩はあった。
 今までならこんなやり取りさえ面倒で、時間の無駄とも思ったから、極力避けていたし、あえてそんな面倒を掻い潜ってまで手にしたい存在はいなかった。そこまでせずとも、女は手に入るから。
 しかし、だ。目の前で共に煙草をふかし、何度も答えはノーだという男はなかなか手に入らない。
 もっとも、教師であり男という時点で普通ではなく、手に入りにくいとは容易に想像はついていた。
「高杉」
「あ?」
 手を出した銀時は、わけが分からないで訝しげ表情の晋助に「鍵!」と促した。
 屋上の鍵は銀時の管理だった。今は半ば晋助の管理となっている。
 肩をすくめた晋助の様子に、今日も屋上の鍵の奪還はならずと、分かっていた結果に銀時は肩を落とした。簡易灰皿へと煙草を押し付ける。 晋助もそれに倣う様に灰皿へと腕を伸ばした。
 すかさず小さくため息を吐いた銀時の唇へ晋助は口付けた。覗き込むように身体を屈め、少し背の高い銀時へと。
「おい」
「これで我慢してやってんだから、感謝しろよ不良教師」
「てめぇみたいな不良生徒に言われたくもないわ」
 唇の端を親指で押さえて銀時は苦笑いを浮かべた。
「さっさと行け」
「鍵は俺が持ってんだ。俺が後だろ、先生」
 既に鍵が晋助の手に渡ってから一ヶ月とちょっと経っている。
 銀時は腕を伸ばして鍵を奪おうとしてはみたが、直ぐに晋助は鍵をポケットへと滑り込ませ、一歩軽く後づさった。
「ったく、早く返せよ!」
「卒業迄には返してやるよ」
 晋助の笑い声に、銀時は盛大にため息を吐いて先に屋上の扉を開き、元の世界へと戻っていった。
 今日も守り抜いた屋上の鍵という時間を、空へと緩く、弧を描く様に投げた。これを手に入れる迄には様々な苦労や紆余曲折があった。
 ただ一つ楽だったのは、この健康健全思考な世の中に便乗して校内完全禁煙化の流れ。
 元々ヘビースモーカーの銀時は、煙草の為に管理を任されていた屋上へと逃げた。たまたまその様子を見つけた晋助は銀時の後を追い、屋上での喫煙を目撃。晋助が喫煙をしているというのは、学内では常識で、彼の強さを恐れ他の教師は何も言わない。
 だが、唯一最初から口を出してきて、更には容認……では無いが、銀時はじめに言ったのは、「するなら上手く隠れろ」という、教師とも大人とも思えない発言だった。
「なかなか難しいなぁ、あいつァ……」
 鍵は何回目かの屋上での、ある意味健全で不健全な密会の後に手に入れた。というより、晋助が来る事を見越した銀時が屋上を開けたままで煙草を噴かし、午後のまどろみに誘われていた時に、ちゃっかり拝借したっきりだった。
「面倒くせぇなぁ」
 誰にでもなく呟やき、盛大にため息を吐き出した。
 上手く逃げる銀時は、なかなか手に入らない。手を伸ばして、あと少しというところでスルリと逃げて行く。そういう男なのだから、銀時は何も言わないが多分男に言い寄られる事に慣れている。それは直感だったが、外れてはいなかった。
「さて……」
 授業など出ても意味はない。しかしだからと言ってする事もないし、行くところもない。
 ひとまず屋上を後にして鍵を閉めた。
 静かな廊下に不似合いな音が響いて、空へと続く扉は閉ざされた。


 ほぼ無人の保健室は、実質生徒にとって格好のサボり場所である。元来緩い学校なので、無人のことも特に問題視されていないという問題があった。
 人がいない保健室が屋上に続く晋助の活動拠点ともいえた。
 慣れた手つきでカーテンを開き、真新しく清潔なシーンへと身体を投げるとベッドのスプリング盛大に音を立てて受け止めた。
 一時間と少し眠りに就いてしまえば、今日も一日が終わる。
 そうしてもう一度屋上へ向かえばあの教師はやって来るはずなのだ。だから、面倒だと愚痴を口にしても諦めることが出来ないのはそこに原因ある。答えは変わらないとは言え、本当に嫌ならば必ず居るであろう屋上に来る事など無いはずだ。
 鍵の件にしても晋助に奪われただのでっち上げればいい。そういう教師の方が断然多い筈なのだ。
 だから、いくら答えは変わらないと言われても、拒絶を見せられない限りはこの生徒と教師の関係に甘んじるに違いない。
 それぐらいの覚悟はあった。それ程本気なのだと認める度に、自嘲めいた笑みが零れた。


「誰かいるかぁ……つっても居ないのがこの学校だよなぁ」
 独り言をボヤきながら、銀時は保健室はドアを開けて中へと入っていった。
 案の定誰もおらず、眼鏡の縁を軽く光らせて絶好のサボり場所に銀時は居座る事にした。
 ベッドで寝るのが一番ではあるが、あえて椅子に座ってのんびりと惰眠を貪る事にした。その方が断然言い訳が効くというものだ。
 もっとも、この部屋に保険医であり腐れ縁の桂小太郎がいない時点でこちらのものである。
 机に肘をつき、ゆっくりと息を吐いて目を閉じた。限界に着ていた睡魔は、一瞬で夢の世界へといざなっていった。
 と、ほぼ同時に晋助は目を開きそっとベッドから降りた。
「マジかよ……」
 よく銀時も此処でサボっているのは知っていた。仕事が片付いて授業が無い時は、何をするわけでもなく、自分の準備室より居心地の良い保健室で時間を過ごす。
 知っていたし、もしかすればという期待を持っていたのも事実ではあるが。
「……おい」
 こつん。上履きの先を銀時の靴に当てた。しかし反応はなく完全に眠りに落ちている事が確認出来た。
「銀八」
 生徒達に初めて自己紹介をする時に自ら名乗ったニックネームは、馬鹿らしいと笑われながらも定着していた。それが生徒と教師という隔たりを薄くした事も事実だし、晋助にとっても「何だこいつ」と、気を引くきっかけともなっていた。
「銀時」
 名をつぶやいた。
「……かすぎ、か」
 掠れた声。眠そうに無理やり覚醒させられ、今も夢を見ている瞳がぼんやりと晋助を映し出した。
「どうした……怪我でも」
したのか、と続ける筈だった言葉と目を擦ろうとした手首を掴まれた。
「おい」
 身を引こうとした銀時の手首を引き寄せて唇を塞いだ。舌先で唇を開く。
 驚いた銀時は晋助の肩を掴んで引き離そうとしたが、簡単に離れるわけなく晋助は更に指先に力を込めた。
 痛みに一瞬たじろいだ銀時は思い切り足のつま先で、足の甲。指の付け根付近を力をこめて押した。
「ってぇ!」
「馬鹿が! 離れろっ!」
 痛みに悶えながら、素直に一歩さがった。
「で、人の寝込み襲いに来たのか、馬鹿杉よぉ」
「その呼び方いい加減止めろ、不良教師が!」
「不良生徒に言われたかねぇよ」
 くそ、と悪態を吐く唇が紅く濡れていた。その唇に誘われるような錯覚を起こす。息を吸って、晋助は行動に出た。
 保健室の入り口の鍵をかけた。振り返るとその音にびくりと身体を震わせた銀時が、目を見開いてこちらを見ている。
「高杉……俺は言った筈だ」
「嫌なら、屋上に来なきゃいい話、だろう?」
 近づいて、妖しく自分を惑わす唇に触れた。いつも触れるだけのキスをしていた唇は指で触っても柔らかい。
「キスしたって逃げなかった。違うか? あんたはどっかで、許してただろ?」
「何言ってだ。ガキが」
 低くドスの効いた声が、さらに脳を揺さぶり理性心が崩れていく。
 再び口付け、足も封じるように自分の足を絡めた。椅子に乗り上げ、顎を持ち上げ天を向かす。白い喉が露わになり、 息苦しげに抵抗を試みた銀時は唇を開き空気を求めた。舌を絡め、膝で銀時の雄を軽く押し付けた。
「いっ……」
 痛みと共に、ぞわりと背中を羽根が撫でていくような感覚に襲われ甘い息を吐いた。
 膝で緩く強く刺激を与えていく。
「やめ……っ」
 身体は既に熱を帯びている。その事実に晋助堪らなく欲情した。
 嫌われようが、関係ない。このまま逃がしてしまうつもりも無い。だが今はこの熱に溺れていたかった。唇の端にだらしなく唾液が筋を作り、銀時は晋助に縋るように服を掴みそれでも必死に引き離そうとしていた。
「感じてんじゃん、先生」
「うっるせぇ、離れろ、馬鹿杉が」
「生徒をバカバカ連呼するな!」
 それでもいつものような余裕は表情にも声にも見当たらない。唇を、舌先を、首筋へと這わした。
「っ……」
 声を殺し、身体を震わせたて一瞬の甘い痺れをやり過ごした。だが身体は正直に反応を示し、膝で軽く押さえ付けられていた雄がビクリと震えて熱を増した。
 離れなければ……銀時は焦りながら、でもやはりこの状況を何処かで許していた。


 多分入学してから半年くらいは特に特別視する事もなく、ただ面白い奴だとぐらいしか思って無かったし、見ていなかった。
 肌寒くなりだした頃、いつもの様に保健室へ仮眠を取りに行った時。先客がそこにはいて、更にはベッドでは無く椅子に座って、机に突っ伏して寝ていた。
「誰だぁ?」
 顔を覗き込もうとしたところで、煙草の匂いでわかった。それもどうかと思ったが、彼は独特の匂いがする。煙草自体は結構キツイものだが、彼の持つ元々の匂いが、気のせいだとしても甘く感じ鼻孔がそれを覚えていた。
 いつもは教師や生徒から恐れられ、一歩距離を保たれている青年も結局はまだまだ子供っぽさを残している。
 近くの椅子を引っ張り、隣に座った。若干音を大きく出した椅子の滑車にヒヤリとしたが、晋助起きる事なく静かな寝息を立てていた。
 入学と同時に噂になったこの男は、昔の自分と似ているところが多く親近感が湧いた。
 それだけだった。
 最近は、よく屋上で顔を合わせる。煙草を吸おうと管理を任されている屋上の鍵を使って、ひっそりと昼下がりの至福の一服を楽しんでいた。
 しかしある日からそこに晋助も加わった。
 最初こそ教師らしく説教でも垂れようと思ったが、効果がある筈無いのは銀時が一番よく知っていたから、緩くそれっぽい事を言ったら、晋助は目を見開いて一瞬停止してから大笑いした。
 それからよく話すようになった。その度に年齢に似合わない大人びた雰囲気と、危なげな色香に結構な女子に人気が有るのが納得いった。しかし、一緒に屋上で過ごしていると高校生らしい表情を見せる。
 周りからは一歩退かれ色眼鏡で見られていても、結局はまだまだ高校生という大人でも子供でも無い曖昧な立ち位置に居るのだ。


「何余裕かましてんだ、先生」
 弾む声で先生と言った表情はかなり楽しげだった。
 椅子に座ったままの銀時の服を肌蹴させ、白い肌に朱色の斑点を一つ二つと残していた。まるで花弁が散るかの如く色付いた肌は、銀時によく似合っていた。
「いや、別に余裕なんてかましてねぇよ」
 燻りだした雄を手のひらで揉みしだかれ余裕など持てる筈が無い。
 止めろとも言わない唇を塞ぎ、舌を絡めながら乱暴にベルトを外した。ズボンのジッパーをおろして中へと手を滑らせ、唇も首筋へと這わせた。
 耳朶を唇で緩く噛み、耳の付け根へと舌を伸ばしていく。
「あ……っ」
 じわりと身体に走る甘い痺れに、銀時は肩にしがみつくように添えていた手を滑らせ、晋助の背へと伸ばした。
 その予想外の行動に気を良くしして、晋助は喉で笑った。
 耳元で低く、脳を揺さぶり理性を崩す声をそっと漏らした。
「嫌がらねぇんだな、先生」
 余裕の無い声。滅多に聞くことの出来ないであろう男の色欲に濡れた声。
「はっ……」
 飽きれたような笑いを漏らし、銀時は晋助を倣って耳元へと唇を近づけた。
「てめぇだって余裕ネェじゃん? 俺も……」
 
 絶対に侵してはならない領域だったはずだ。

「我慢の限界なんだわ」
 こういう形でそれがいとも簡単に破られるとは、銀時も想像していなかったし、こうなる筈は無いと何処かで安心していた。直ぐに気変わりするだろうと。
 彼らと自分の世界の時間軸は少しずれている。彼らのほうが断然早く、時を駆け抜けていく。
 晋助は唇の端を上げて、銀時には見えない笑みを浮かべた。
「後悔、すんなよ先生」
 直に触れた雄を少し乱暴にキツく握り、親指の腹で先端をぬるりと擦った。
「あっ……く、てめぇ、こそな!」
 身を震わせ、晋助の背に爪を立てそうになり、慌てて銀時は手の力を抜いた。だが晋助の唇が硬く尖っている胸元の突起へと当たると、身体は硬く震えた。
「たか…っ杉」
「今更止めろとか言うなよ?」
 ねっとりと舐め上げ軽く歯を立てた。指先に力をこめて、与えられる快感に身を任せた。今更抵抗をするつもりも無いし、抵抗する術を持たない。
 自分とは違い、黒く艶のあるサラサラとした髪へと鼻を摺り寄せるとカチリと眼鏡の音がした。
「ん……」
「先生、いつも男とこんな事やってんのかよ」
「んな事……てめぇには、関係無いだろ」
 雄を掴む手に力を込めて熱を留めた。息を張り詰め、銀時は溜息混じりに艶の含んだ声を小さく漏らした。
 身体を離し、銀時の腕をつかみ取り晋助は先程まで自分が寝ていたベッドへと大股に歩いて行った。
「お、おい!」
 慌てた銀時は足元も覚束ないまま立たされ、自然と晋助にしな垂れた。
 ベッドの縁が足に当たり、バランスを崩したと思ったと同時に銀時は白いシーツへとほうり出されていた。盛大にスプリングが悲鳴を上げて、銀時の上へと跨った晋助も受け止める。
「ちょ、お前もうす、んっ」
 再び唇を塞ぎ、焦らされ先走りでぐっしょりと濡れている雄へと触れて一気に擦り上げると、目の前が白く光る。このまま全て吐き出してしまいたくなる。
「ひっ…あ……ちょ、待っ……て」
「イきたいんだろ? 先生」
 愉しげに笑って晋助は手の動きを早める。強く弱く、同性だからこそわかる、微妙な愛撫を続けた。
 晋助の肩を掴み、引き離そうとと無駄な抵抗をする銀時の腕を空いている方の手で掴み、頭上の枕元へと押し付けた。
「あっ……やめ、ヤバイ……」
「イってよ先生」
 目尻には薄っすらと涙が滲み、蒸気した頬と若干ズレたメガネ越しにいつもの余裕など消え失せた銀時の表情に息を飲んだ。
「その眼鏡……いらねぇだろ」
 フレームだけの眼鏡を外し、掴んだまま口付けた。互いの煙草の匂いが微かに残る口付けを交わしながら、銀時は晋助の手の内へと熱を吐き出しす。
 脈打ちながら吐き出された精を、銀時に見せつけるよう晋助は手を見せた。
「すげーベトベトだぜ、先生」
「いちいち、報告すんな」
 ズボンへと手をかけズラすと後ろの孔へと指を伸ばし、吐き出された精を更に熱く熱を孕むそこに塗りつけた。晋助は初めて触れる場所だがすでにそこは脈打っており、つまらない様な、面白い様な、複雑な心持ちで晋助は舌打ちをした。
「淫乱教師が」
「あ?」
 それ以上言葉を続ける前に、指を中へと突き立てた。
「あ、ちょっ……!」
 足を肩に乗せ突き立てた指でぐるりと円を描いく。銀時自身が吐き出した精を内部へと塗りつけていった。
「流石に、これじゃキツイかと思ったけどよぉ……先生、慣れてるみたいだし?」
「っさい」
「二本目」
 言って、直ぐに指が二本に増えて内部を圧迫した。
「っ!!」
 それでも直ぐに指は晋助を受け入れ、熱く熱を孕みながら広がっていった。
「結構やってんの? 先生」
「あっ……つべこべ、いう暇あんなら、満足、っさせろよ」
 余裕の無い「余裕」の笑みに、晋助は息を殺して笑った。
「もちろん」
 二本の指をバラバラに動かし中を慣らしてゆく。あまり喜ばしくもないが、銀時の孔は徐々に指を受け入れ、更に熱く猛るものを欲するかのように収縮を繰り返していたベッド。
「ぅ……ぁあ」
 手の甲を噛む様に、口元を押さえて声を殺していた。それでも漏れる吐息は扇情的で、晋助の理性を更に砕いていく。これ以上抑えるものが無くなってしまえば、自分は何をするか分からない。
 元々持ち合わせている嗜虐思考を曝け出し、傷つけるのは違いない。しかし銀時の艶姿は更に欲に、更に狂わせたいと思わせる。
「どぉ、したんだよ……っ」
「別に……もしかして、銀時ぃ」
 耳元で名を口にした。スルリと吐き出された名は、妙に馴染んだ。
 そして名を呼ぶ、熱のこもった艶やかな低音に銀時は身を震わせ必死にやり過ごそうとした。
「お前一人で、ココ弄ってたとかじゃねぇよなぁ?」
「っ! 何バカな事」
「でも今すげーしまったぜ?」
 耳朶を舐めながら、指を奥へと突き立てた。
「そうなんだろ? それとも、誰かとシテたか?」
 別に毎日タバコをふかして、お互いに他愛のない話をする程度のちょっと変わった生徒と教師程度の関係でしかなく、誰と付き合っていようとセックスしていようと関係はない。
 だがやはり気にくわなかった。
 晋助の指がある一点を突くと意地の悪い質問に答える余裕さえなくして、 銀時は声を殺して今まで感じたことのない快感に身を震わせた。
「此処か、あんたの良いところ」
「ちょっ……待て、高杉!」
「何を待てって言うんだよ、センセ。そいやぁさっきから先生って言うと、感じてるよなぁ」
「煩い!」
 顔を朱に染めて銀時は半ば諦めたように、小さく溜息を吐いて腕を晋助の首へと伸ばし預けた。
「また余裕ある時話てやるから、なぁ」
 首を伸ばして口付けた。今まで屋上で晋助が仕掛けてきたそれよりも深い口付けを強請るように。
「早く、しろよ」
「教師ならちゃんとお願いしろよ」
 はぁ、と何か思案するような溜息を吐いて銀時は晋助を真剣な眼差しで見つめて笑った。
「てめぇが後悔しねぇってなら、早く……きてくれよ……お前がなんと言おうが、俺は初めてだぜ?」
 晋助は一瞬止まって、指を引き抜いた。名残惜しげに締め付けた孔は更なるモノを欲している。
「何がどう後悔なのかはしらねぇが、今更だろ?」
 お互いに。小さく囁かれた声を認識する時には、孔へと熱く猛った晋助の雄が打ち込まれた時だった。
「ぅああ」
 突然の熱量と質量に、苦しさと痛みに一気に現実へと引き戻された。
「力抜けよ、銀時……てめぇ食いちぎる、つもりかよ」
「初めてだ、っつったろ?」
 息をゆっくり吐く銀時の額に口付けた。
「これで先生って言えば、更に締め付けるのかよ」
「っバカが」
 首筋や耳元へ口付けながら、胸の突起を指の腹で弄った。押しつぶす様に愛撫を与えながら舌で先端を舐め上げる。ざらりとした感触に、銀時の身体はピクリと震えた。
「っ」
「なぁ先生」
「名前で、呼べよ」
「銀時」
「んっ」
「好きだ」
 柄にも無いと、なかなか言えなかった一言は意外とすんなりと口をついて出て、そして胸の一箇所にストンと落ちた。あるべき場所に言葉が落ちれば、何処かホッとして。銀時もそれは同じだった。
 だから、一瞬目を見開いて、小さく息を吐き笑ってそれにキスで答えた。
 それが合図のように、晋助は今まで押しとどめていた想いと、欲望を吐き出す為に。更に奥の快感へと銀時を導く為に動き出した。
「あ、ああ……」
 晋助に抱きついた手に、腕に力を込めて痛みに耐えた。だが既に痛みよりも痛い快感に身体は蝕まれている。じくじくと身体を侵していく快感は一時的に常識だの理性だのをなぎ払う。
「すげー、銀時……きっつ」
「あ、も、文句言うな!」
 揺さぶられ、奥からじわりじわりと押し寄せてくる限界を感じた。
「も……ダメだっ……たか、すぎっ」
「イけよ……先生」
 クッと喉で笑う、低く響く淫靡な囁きに銀時は顔を更に朱に染めて限界へと達した。それと同時に、初めての快感に晋助を受け入れていた孔はキツク締め付け、晋助も耐えきれず欲望の熱を吐き出した。


「煙草、ニコチンきれた……」
「流石に保健室はねぇんじゃね?」
 晋助にしてはごもっともな意見に、銀時は気だるい身体に鞭打ってまでニコチン摂取をしようとは思えず、もう少し横になっていることを選んだ。
 狭いベッドで二人は身を寄せ合っていた。誰もいないことをいいことに、時間が過ぎるのをただ寝転んで待っている。
 二人がこの部屋を出ない限り、鍵を開けない限り部屋に入ってくる者は居ないはずである。
「なぁ、高杉」
「あ?」
「あとで屋上行くんだろ?」
 そう言って笑った銀時につられて、晋助も小さく笑みを浮かべて勿論と答えた。
 その日、その時。ずっと踏み込むことをお互いに躊躇っていた絶対不可侵領域へと足を踏み入れた。
 その入口は極めて近い場所に有る。
 ホームルームを終えて、晋助は足早に屋上へと向かって行った。
 何ら今までとは変わらない筈なのである。変わりと言えば、抱きしめたいと思っていた者が、自分の腕の中で確かに快感に震えていた……充分に変わってはいるかと、自分で納得しながら階段駆け登って行った。
 鍵はあの後銀時の手のひらへ戻した。
 別にもう必死にならなくとも、その手は離れない。だからだと言ったら、笑いながら銀時は「ばーか」と言った。
 ドアノブを捻り、外へと足を一歩踏み出した。晴天の下に、何時ものように気だるげに立ち、何故かいつも着ている白衣をなびかせて紫煙を燻らせていた。
 結局、変わってない。
 それがどこか寂しくも感じた。だがそれがいいとも思う。
「おい不良教師」
 呼びかけに銀時はゆるりと振り返った。風に乱れた髪が先程までの情事を思い出させる。
「なんだよ、 不良学生」
 咥えた煙草の端からちろりと赤い舌が覗いた。
「俺にも寄越せよ」
「てめぇは学生だろ? 吸うな」
 今更何を、と思いながら歩み寄った。じっくりと距離を縮めていく。
 日差しの眩しさと、銀時の揺れる少しゆるいカーブを描く銀髪に目を細めて、晋助は銀時の口元へと手を伸ばした。
 指がそっと唇に触れると咥えていた煙草を摘まんで引き離した。特に嫌がる素振りもなく、薄く開いた唇から短くなった煙草が取り去られ、晋助はその唇に自分の唇を重ねた。
「がさがさ」
「咥えタバコしてたらそーなるだろうが」
「しらねー」
「嘘つけ」
 他愛のないやりとりをしながら奪った煙草を咥えた。ゆっくりと息を、紫煙を吐こうとしたところに、見慣れた鍵をちらつかされた。
「いる?」
「くれるなら」
「やらねぇよ、預けるだけ」
 もう一度小首を傾げて銀時が「いる?」と問いかけたと同時に鍵に手は伸びていた。
「不良教師」
 鍵を手に言うと、ばつが悪そうに銀時は笑って「うるせぇ」と寂しくなった手のひらを、ひらひらと振って降ろした。
「センセイ」
 語尾を弾ませ呼んだ晋助は、手にした鍵をポケットに押し込んだ。風が吹き、二人の服が、髪が、揺れる。
「鍵、返すときが来たとしても、ただでとは言わせねぇからな」
 これから先どうなるかなど、まだ始まったばかりの事なのだから想像もつかない。
 それでもその鍵を返すときが来るのは、あともう少し先なのだと思えば答えは幾通りもある。
「ギブ・アンド・テイクって、言うだろ?」
「返してもらうには、それなりのものを渡せってか?」
「そうだろ?」
 思わず、笑った。
 銀時は最初は鼻で笑って、肩を揺らすぐらいだったが、次第に耐え切れなくなり声を出して笑った。でっかい空を見上げて、今まで抑えていた気持ちなど関係なく、絶対に踏み込んではいけないと思っていた線をずかずかと超えてきた、目の前にいる男に向かって。
「何だよ、何がおかしい」
「いいや……お前やっぱ若いわ、おっさんには浮かばないわ」
「は?」
「いいよ」
 答えは多分、今も未来も概ね変わらないだろうという自信はなんとなくあった。自分がどうこう悩んだところでこの男はまた同じように一辺倒な答えを突き出してくるに違いないと思った。
 例え自分のような男で、年上でという存在に嫌気がさして去っていったとしても。その時は、その傷は、自分がどうにかすればいいだけの話なのだから。
 今は晋助のワガママでもあり、銀時自身のワガママでもある道を歩めばいい。
「お前の気が変わらず俺の気も変わらなかったら、またやるよ。鍵を」
「……忘れんなよ、先生」
 晋助は一瞬だけ考えて銀時の答えに満足して笑った。
 短くなった煙草の灰が風に揺られて地面に落ちた。
 銀時がそれを見て差し出した灰皿へと吸殻を押し付け火を消すと、そのまま口づけた。
 口内には、同じ煙草の味が広がっていた。 



Fine