にゃーご、と後ろで聞こえて振り返ると艶やかな黒毛の猫と眼があった。

アカネコ


「よそ見たァ、ずいぶん余裕だな」
 声の主へ神経だけを向けながら、じっと猫を見つめていた。
「てめぇ、何でここにいる」
「いちゃァ悪いか?」
 くっと喉で笑う。癖だ。人を見下したような、何を考えているのか分からない凶器をはらんだ笑みを浮かべる。
 猫は逃げなかった。
「てめぇもこの猫ぐらい可愛げがあれば良かったのにな、高杉」
「猫みてェに気分屋なのはてめぇだろ、銀時」
「気分屋なのは、どっちだか」
「十分てめぇだろ」
 じっと見つめていた猫は緑色の瞳をふいっと逸らし、興味なさげに、優雅且つ艶やかな動きで音もなく去っていった。

 さて、これで目線をどこに向けるべきなのか。
 正直これ以上視線を逸らしたままというのは、命の危険さえ感じるので避けたいところではあった。だが、だからと言って眼をあわせたいとも思わなかった。
 あの隻眼は先の猫ぐらい人を「こわく」させる。
 考えながら、でも気は抜かない。
 一瞬でも抜いてしまえば。風が通るそれに気取られれば、遠くの喧噪に耳を奪われれば、一瞬で取られる。
「なぁ銀時ィ」

 宙で鳴いた。
 一羽の烏が羽ばたきながら。

「っ!」
 気を抜いた。
 羽がふわりと宙を舞い、銀糸へとめがけて落ちてくるただそれだけのことに、気取られた。
 間合いを一瞬で詰め、手首を取り銀時がどれだけ無意識のうちに気を抜いていたのか見せつけながら晋助は隻眼を細め、唇を歪め笑った。
「何やってんだよ銀時」
 耳元で囁かれた言葉に、ぞくりと身をふるわせた。狂気による恐怖と。身にしみこんだ歓喜による快感に。
「は、なせ!」
 瞬時に躰の中心を取り手首を外した。いくら力が強くても、あがかれようとも、自由になる点は存在する。
 同時に一歩半退く。
 しかしそれを許す晋助ではない。
「馬鹿が」
 もう一度手首を捕まれた。今度は反対側だ。
 力のいれ方も、握り方も、もう手加減はしていない。引き寄せ、まるで見えない刃を喉元にあてがうような殺気を放つ。
「せっかく会えたんだろ? 少しぐらい時間はるだろ。どうせ手前ェは暇だろ?」
「いつでも暇と思うなよ。失礼だぜ、それは」
 背を建物の壁に押しつけられ、圧迫感に呼吸が乱れた。
 すぐに呼吸を正そうと息を吸うと同時に唇を塞がれ、抵抗しようと手に力を入れたがそれもまた壁に縫いつけられた。
「っ・・・・・・」
 足音や人の声といった街の喧噪が耳に届く薄暗い裏路地で、偶然に出会った少々やっかいな情人と口づけを交わしている。その行為への背徳感と、それでもやはり好意を抱く者から求められれば嫌な気持ちになるわけでもなく。
 厄介だ。と、深く口内から思考までを弄られながら銀時は躰の力を抜いた。
 それと同時に晋助の手の拘束が弱まった。逃げないという確信と自信があるからだ。
 それに応える様銀時は背に手を回し、耳に響く水音を聞きながら、遠くで鳴いた猫の声を聞いた。

Fine...